面会記

5月6日 面会記

ゴールデンウィーク終わったどんな休日で過ごしたでしょう...

5月6日 面会記

ゴールデンウィーク終わったどんな休日で過ごしたでしょうか気になって、まだ今年の連休が長い為に、面会者も少なくスムズに。一日のメデエは宇都宮に横断幕を持って郵便局から東武デパート迄大勢の救援会の方々と各労働組合のパーレトをして来ました事も報告ししました。 他に姉弟も体調悪いの報告をして、拓哉は12日の運動会の練習を楽しみに千葉刑務所に来てからずっとコロナウイルス対策で刑務所自体が行事も出来なくて。本当にやっと普通の日々に戻りました。 拓哉からは左腕の印に3本線になりましたの話をしてくれました。それは無期懲役確定してから受刑者になって5月1日に三年になもなりました。 逮捕されて地裁、高裁、最高裁有罪、無期懲役確定で6年それから川越刑務所から千葉刑務所に来て3年、もう9年も過ぎました。 逮捕されなければ今も結婚子育てに悩むの日々を過ごしているでしょうか?私のせいで逮捕されてやってもない事件を自白して、全ての人生を奪われてしまいました。 冤罪は本当に人生を狂わせて全ておかしくなりました。自由も家族も色んなところを影響されました。 警察官、検察官、裁判官のみんな様も本人じゃないで気ついても見直しをしないでそのままに無実の人を罰せて。本当の犯人を逃げさせて。まだ何処かで犯罪も起こすかも知らないと思います。 再審の開かずの扉を再審法改正の日が近いうちに実現出来たらいいですがずっと期待しています。 元気で過ごしている我が子の顔を見て安心できました。    

4月27日 弟、姉の面会しゅさん

4月27日 弟、姉の面会しゅさん

運動会の前に面会にいて来ました。感染に気使う手続きの省...

4月27日 弟、姉の面会しゅさん

運動会の前に面会にいて来ました。感染に気使う手続きの省略も無くなりました。スムズに手続きをしてから面会室にいて待てました。 逮捕後もう9年目になりました。宇都宮地裁、高裁、最高裁無期懲役まで6年ぐらい、そうして川越刑務所から千葉刑務所に受刑者になっても三年近く、逮捕後姉弟妹もそれぞれ困難を乗り越えて家庭を持って前に進んでいました。 拓哉だけは親のせいで刑務所に行き無実の罪で服役をしていました。逮捕されてなければ、結婚、家庭も作って色んな苦労もしているじゃないかと思うと悲しく苦しいです。 裁判のお陰で国民救援会で知り、日本国中に自白を落とし入れられ、冤罪事件に巻き込まれて無実のまま、数10年も自由を奪われてずっと刑務所で服役をしている方々も数えきれないほどがいました。何故でしょうか。 今日の面会は事件関係の話しを一切なし、家族の近況、体調などの話をしました。あっと言う間に時間が過ぎてしまいました。ほんの30分ですが。 やてもない事件に関わり無期懲役になる事は考えられません、何故か知りたいです。街頭での活動に今市事件の無実を知る方々がいましたら、是非連絡をお待ちしています。

4月19日 面会記

4月なってから姉、妹のこともの入学式の為も有り、皆んな...

4月19日 面会記

4月なってから姉、妹のこともの入学式の為も有り、皆んなが忙しいので面会は月末になる事を伝えて来ました。 拓哉が逮捕されてから、姉と弟、妹もそれぞれ拓哉の事件の影響も有りました。それともみんなは困難を乗り越えて結婚、子育て親戚の理解も有りました。 本当に国民救援会、守る会支援者のみんな様のお陰で普通の生活を過ごせる日々をしています。拓哉は刑務所中にも無駄の無い日々を行なって欲しいと思います。 4月8日布川事件の桜井昌司様の人権賞の感謝パーティの御礼に招待されました。会場に大勢の有名人もいらっしゃるの中に今市事件も紹介をして頂きました。まだまだ弁護団も出来ていないのですが再審はいつになるのですかで聞かれました。みんな様の期待に私も答えられません、1番焦っているのは私のほかには居ませんです。 袴田事件の再審開始は何より1番の話題ですが。まず日本の司法改革も先手と思いますが。袴田様の完全無罪の判決を貰ってから絶対に再審の扉も開けられる日が来ますように祈ります。 今日の面会は運動会の準備とコロナ感染症の解除後の生活と姉妹達の生活ぶりの報告も兼ねて拓哉の様子をみに行きました。 運動会は5月第二週の金曜日の予定のようでしたがやはり激しい運動会の練習とお日様のお陰で肌色も焼けて一層逞しくなっていました。 他にもまだ同室の方の人間関係で悩みましたの話を聞きましたが。社会にも同じく誰だって苦労は有ります。本当に生きていく為に人で色んな経験をして生きていかなければいかないと思いました。 面会後もツツジの花が綺麗に咲いっていました。今年の桜🌸はタイミングが悪くて、面会に行った頃もほぼ落ちてしまいました。 何もなくまだ一日刑務所で過ごした拓哉でした。  

しばらくの面会4月6日

仕事終わってからの面会ですが。午後の受付は間に合うか心...

しばらくの面会4月6日

仕事終わってからの面会ですが。午後の受付は間に合うか心配しましたが幸い3時までギリギリで行けました。 年度も新しいくなりましたが、受付もコロナ感染の体温を測るのをなくなりましたが、外で待つような状況もなく建物の中でお待ちくださいでいわれました。 距離を開けの状況も改善されました。拓哉が千葉刑務所に来たから初めて少し気持ちが楽になりましたです。刑務所の門に入ってもロッカが新しくなりました。昭和からのレトロな古いいのからダイヤ式に変わりました。 物品ばけじゃなくて司法も大正から昭和に終えて平成から令和にもなってもまだ自白を取るのはも改善出来ないか。 司法は時代の変化にも応じるデジタル、監視の応用も実現出来たらいいと思いました。担当の検察官、裁判官は人を裁くのも感情的、自身の昇進などを人の人生を間違い方向に左右されうことをもう司法の改革もしっかり見直して欲しいです。 三年近くコロナに惑われって本当のこころも重いです。 拓哉も工場内の仕切りもなくなりました。5月からの運動会の練習も始まり。バトンミントン、ドチボウルなどの球技も出来ました、少しでも気分の切り替えが出来るようになったようでした。 まだ袴田事件の検察側の特別抗告の断念のはなしをしました。まさか私は57年の半世紀は絶対し待てませんです。出来たら3分の1は許します、のはなしもしました。 もうすぐに10年もなるですか、後は何年か待つでしょうか。弁護団の結成もわからず、その話をしたら、拓哉も明るい答えを相変わらずいつものマイペースな拓哉でいました。 面会後も外の桜もほどんと落ちました、来週の誕生日からは41になりますが1番働き盛りの時間を冤罪で閉じ込められた我が子に救い手は何処に向けば良いでしょうか。今は支援者のみんな様に力を借りることしか出来ません。本当に感謝しか有りません。

令和5年1月6日 新春面会

まだお正月中に面会者も少ない中、面会に行きました。年...

令和5年1月6日 新春面会

まだお正月中に面会者も少ない中、面会に行きました。年末年始にコロナ感染増加中にどんな生活をしましたが気になりました。 姉と2人でさすか弟も来る予定でしたが本人も精神的に落ち込みましたようで家でお休みすることになりました。 久しぶりに弟も来ないのは拓哉も心配してました。なるべく明るい話をお正月にちゃんと雑煮らしいお料理もありました。 今年も多くの支援者から年賀状を送られて来ました。とても勇気をつけられてました。本当に感謝しきれないありがたいです。特に支援者の皆んなさんに全て返信出来なくての事を伝えてほしいです。 相変わらず工場は止またままでしたが、毎日部屋で過ごす、お風呂も出来ず、やはり工場が動かないと退屈のようでしたが、本も借りられないようですが、年末年始も本が届きませんようですが。私も年末年始に注文された本も送れませんでした。少しだけ窓口の差し入れで入れてきました。 次男も拓哉の逮捕頃からの状況を調べてからは本当に自身の家族の事も関わらず目にも振らず拓哉と他の冤罪に関わって事件も調べ毎日不眠不休に乗り込めました。 精神的もおかしくなりました。次男も真面目一面に何故が日本の裁判はこんなにおかしくなるんでしょうか。 拓哉が無期懲役刑務所に入れられ、まさか次男もその影響で精神的に追い詰められ、拓哉の救出を全心全力を全て投げ出しても困りますね。 本当に拓哉だけじゃなく、家族のみんなにも色んな影響が来ます。冤罪はこんなにも人々の人生を狂わせて。冤罪を作り出した人達に責任感を感じることが無いでしょうか。神は居ますよ必ず晴れる日が来ます。正義な味方

1月27日 面会

1月22日拓哉からの手紙を来ましたが。わたしも年始か...

1月27日 面会

1月22日拓哉からの手紙を来ましたが。わたしも年始から仕事も次男の事もあり、面会も行けずその間に拓哉が知らせてくれました。年賀状が合計で308枚でした、今年も大勢の方々の応援を凄く勇気をつけました。 千葉本部からの質問ですが、今年の高卒認定な科目は物理基礎、現代社会、英語、科学と人間生活四科目を予定はいています。その事を千葉本部に知らせて欲しいのこともありました。 工場が12月15日から令和5年1月16日まで停止しました。17日再開出来ましたが休みの間に工場中にも数人はコロナの感染になりましたが、一応みんなさんも元気に戻りましたが拓哉の工場では1人だけが帰ってこなくなりましたが。もしかしたら、代わりのひとが来るかも知らないでと不安でした。 今までやっと人間関係がよくなって同じ年位の方々がお話も会う方でしたが、次にどんな方の入居者が来るにも不安でした。 無期懲役には一生中に不自由な生活を拘束され決められたスケジュールに乗っとて一切自分がない人生をお送ります。 犯罪者には仕方がなくと思いますが。 しかし拓哉は母親の関係で別件として、無実のままに作られたストーリーに8年間も解決出来ない事件に 栃木県警察の本部長の退職前に自身の手で事件を解決したい一心で拓哉の逮捕の至りました。 その栄光の退職に飾られての冤罪ですが、無実を証明されたらその栄光はどんな色になるでしょうか。 引き継ぎ無実の活動を支援者、日本の国民の皆様に是非力を貸してください。宜しくお願い致します。