記者と大雨の面会

9日お昼過ぎ、大雨のせいで電車が遅延していたので迎えに来て貰った車で刑務所に向かいました。刑務所に着いた時もまだ大雨でした。今までにないような土砂降りでした。記者に挨拶して、逮捕時に書いたという記事の資料をいただき、リュックに入れましたが、あまりにも雨が凄かったせいでリュックも濡れてしまいましたので、後日改めてもらえるようにお願いしました。いつもと同じように手続きをして、いつものように審査してからじゃないと面会出来るかわかりませんと言われ、その間面会室で待ちました。23番でしたが、次々と25、27と後の番号の方達が呼ばれて入っていきました。やっとokが出て私達の番号が呼ばれてましたが、とても時間がかかりました。
拓哉は相変わらず元気でした。帽子を被っていない為髪の毛が薄く見え、白髪も見えました。姉が禿げて見えるよと言っていました。私も拓哉にマスクをはずして姉に顔を見せてあげてと伝え、拓哉がマスクを外した途端、姉がほんとにびっくりしていました。痩せこけてどうしたのかと、ご飯はちゃんと食べてますか、なんでこんなに痩せたんですかと質問攻めでした。本人が運動のせいですと言ってましたが、その後聞いてみたら新入りの方のグチをこぼしていたので、やはりストレスが溜まっていて、体の具合もあまり良くないのだと思います。もともと拓哉も人間関係は好き嫌いが激しいですから、刑務所の中ではますます苦しくなるかもしれません。家族の中ではお兄ちゃんの立場ですが、刑務所内にも先輩や後輩との上下関係もあります。そのせいでストレスが溜まり、大変なんだと思います。何も罪を犯していない拓哉がこんなに刑務所の中で苦労していて、本当に可哀想だと思います。こんな考えは親バカかもしれませんが、一緒に面会に行った記者も私達親子の会話を聞きながら目に涙を浮かべているようでした。
いつもの拓哉の隣の年配の職員が厳しい目つきで見ていました。記者の審査においても、経歴なども細かく聞いて、内容もしっかり調べたようです。青木さんが面会に来た時の様子と全然違いました。あまり事件の話をしない方がいいと思い、控えめに話しました。記者もそれに合わせて、後日手紙で詳しく聞きますねと言って無事に面会が終わりました。
記者の話によると、自白時の調書には、軍手をしていましたと書かれていましたが、なぜかガムテープの話は出ていなかったようです。私はそれを聞いてとても驚きました。なぜ被害者が殺害された17年12月の事件当時、栃木県警察は真剣に調べなかったのでしょうか。恨むべきはその仕事の怠慢です。数年後に上部から責任を問われそうになり、その責任の埋め合わせさえできれば誰でもよかったのでしょう。この事件はたまたま時期が悪く、裁判員制度や録音録画の導入という肝心な時期に当たってしまったように思います。今市事件で拓哉の逮捕が利用されて、マスコミは日本中に幼い女の子が殺害された凶悪犯人は拓哉だと報道しました。その反面、警察官は未解決事件をついに解決したと英雄扱いされ、必ず自分の手で逮捕しようとこの日を待ち望んだと、そんな内容の会見の報道によって、警察は輝かしい成績を残し、昇進も出来たでしょう。冤罪を作った警察官達に問いたいです。嘘を付いて無実の人を犯罪者に仕立てあげたその行為に対して、自分の心は痛くありませんか。
日本の司法制度は50年間もの半世紀をも過ぎましたが、昔からこの冤罪が作られてしまう体制は変わらないです。先進国にもかかわらず、こんな古い体制は国際社会に笑い物にされても仕方ないと思います。
私達外国生まれの家族が愛した日本です。どうか皆様には生まれ育った国に関係なく、現在日本で生活する全ての外国人達のためにも、日本という素晴らしい国のイメージを守って下さることを祈っています。これからも関係者の皆様に是非お力をお貸し頂きたく、おねがい致します。
面会後の打ち合わせでは、事件発生時の状況はどんな状況だったか、そして拓哉の自白内容はどうであったか、それらの違いから警察や検察が作ったストーリーがどんなものなのか知ることができます。とても興味深いです。真実は一つしかないです。作り話は絶対におかしな点があるはずです。検察官も裁判官も優秀な方です。なぜ訴因変更をする必要があったのでしょうか。何故無実の拓哉をそこまでしてまで刑務所に入れたかったのでしょうか。日本の司法の面子のためだけに、一人の人権を侵害し、その家族をも地獄に陥れてもいいのでしょうか。その真偽が知りたいです。





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