新春の集い晃石会の参加

5日の集会の講話の内容も出来る限り皆んなさんにお知らせ致します。

拓哉は先月1月29日で、逮捕されて丸9年が経ちました。2014年1月29日朝7時頃、警察が大勢自宅に入り、私と同居していた拓哉は私の商標法違反の罪の共犯とされて逮捕されました。その朝私は不在だったので、他の場所で拓哉の逮捕と同時に違うグループの警察に逮捕されました。
当時私は重い病気を患っていたため、週2、3回の輸血が欠かせない毎日でした。逮捕された日の2014年1月29日の夜も、警察官に今市病院に診察のために連れられました。診察時間外にも関わらず院長に診察して貰いましたが、院長先生は骨髄異形成症候群がどんな病気かも知らないようで、結局診察ができませんでした。今市警察署で私の勾留手続きをするのも大変だなと思いました。翌日仕方なく私が通っている病院に予約をとってもらい、その大学病院に連れていて行かれ、やっと診察が受けられました。その輸血後、商標法違反の取り調べが始まりました。取り調べの初めの頃は、私も拓哉も普通に手紙のやり取りや家族との面会が出来ました。私自身、拓哉に対して申し訳ない気持ちでいっぱいで、自分の医療費の為とはいえ、同居している拓哉を事件に巻き込んでしまい、無実にも関わらず拓哉まで商標法違反の罪で共犯にされてしまって、本当に謝りきれないです。手紙にもその旨書きましたが、親子そろって互いに謝りの連続でした。逮捕されてすぐの頃に拓哉から貰った手紙には、2008年10月15日、私の担当医が身内のみんなを呼んで、私の病名を告知し、子供たちみんなに私の残り5年の余命宣告して、治療方法はもう移植しかありませんと告げたことがありました。拓哉は(その時)から自分が真面目に働いてさえいれば、私が違法な商売をすることも無かったと、手紙に書いていました。そしてその謝罪の内容の手紙を私が居た留置所に送ってくれました。私達親子の中では(その時)それは私の病気の話でした。私も拓哉に、自分を責めないでください、悪いのは全て私です。罪を償うのは私だけでよかったのにと伝えました。まさかその手紙の内容が後に今市事件の吉田祐希ちゃんの事件と繋げられてしまうなんて、どんどん訳がわからなくなりました。
2014年1月29日から拓哉の第一回目の勾留期間が切れるまでの間、刑事がどんな取り調べをしたのか私も知りませんでした。後に拓哉にけがをさせたり、ビンタをした、と第1審の裁判の際に担当刑事がやり過ぎてしまったと認めていました。それを受けて、拓哉は私に謝罪の手紙を書くにいたったようです。それからまた勾留が延長になりました。次から次へと、色んな訳のわからない罪名で再逮捕され、勾留期間の延長が何回も続き、後の6月3日に吉田有希ちゃんの殺害の被告人として起訴されました。その後の6月13日、私の裁判は結審して私は釈放されました。その代わり、拓哉はその日から接見禁止になりました。そして2年後の2016年4月8日。第一審で無期懲役の判決を受けました。判決を受けたその次の日、やっと拓哉と会う事が出来ました。拓哉とやっと再会できた日、拓哉はもう信じられないぐらい変わり果てていました。拓哉はほぼまともに会話が出来ない状態でした。本人も私にショックを与えないようにと無理をしていたようですが、明らかに怯え、体が震えていました。聞いてみたら毎日睡眠薬を飲み、薬がなければ寝つけない状況だったそうです。
それから高裁、最高裁の裁判を経て、判決が確定し、無期懲役になりました。これからも逮捕時の状況も少しずつ思い出せますように報告します。

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